文系も理系もなく。

どうも世間は自分が何かを知らないことにたいして、あまりにも鈍感じゃないかと思う。その種の開き直りが別に悪いとは言わないけれど、なんだかなあとは思うのだ。
かといってそこで優越感に浸ってしまっては意味もないわけだが。
竹内洋の『教養主義の没落』(中公新書)を読みながら、考えたのはそんなことだった。かって教養と言われたものは人文系の諸知識であったわけだけれど、そればっかりではなくて、役に立とうが立つまいが面白いものはたくさんあるのだから、文系も理系もなく「おもしろいこと」を基準にした教養みたいなものを身につけたいと思うのだ。サブカルがそういうものだろうけど、それも範囲が限定されてしまうような気がする。思い描いているのはもっと別のことで、だから松岡正剛のいう「知の編集」ということに強い興味を覚える。
バロウズの『裸のランチ』を読み終わる。山形浩生の『たかがバロウズ本。』が無性に読みたい。
舞城王太郎の『山ん中の獅見朋成雄』を読み始める。