「書の至宝−日本と中国」

最終日ということもあって、上野の国立博物館に、「書の至宝−日本と中国」展を観に行く。


最終日とはいえ、書についての展示で地味だし、そんなに混んでいないだろうと踏んでいたらとんでもない。


かなりの混雑で、観る気も萎えるが、そうも言ってられないので、人混みをかき分けつつ、観る。周りを見渡せば、ご年配の方々が多くて、展示の前にはりついたまま動かないので、列がなかなかすすまず、どうにもならないので、じっくり観るのはあきらめ、列の後ろの方から、隙間を縫って観る方針にする。


書についてはど素人もいいとこだけど、好きな文人の展示もあるし、中国の古典を学んできた者として、やっぱりこの手の展覧会は観に行かなきゃという無駄な義務感もありで、来たわけだけど、好きな蘇軾の書はやはり良いし、良寛も素晴らしかったので、とりあえず満足したけれど、書についてはうまい下手の価値判断が全く出来ない。


だいたいなんて書いてあるか読めないので、デザインとしてその字を観るしかなく、ほとんど絵画を観るようだった。


けれど、篆書にしても草書にしても、楷書にしても(楷書はまあ、何とか読める。一応漢文やってきたし。)デザインとして、とても優れているので、観ていてあきない。


何でこれがうまいとされてるのかわからないものもあったけれど、「書」というものに構えず、そのデザインを楽しめばいいし、それを書く人によって様々なバリエーションがあり、時代ごとの変遷がありで、その違いなんかをちょっとでも発見して観られれば、結構楽しいもんである。
それでもうまいとされているものにはそれなりの理由があるわけで、その辺りのお勉強も当たり前だけど、必要だ。


しかし、良寛の書は、なんかもう悟ってるというか、字なのか落書きなのかわからないぐらいだけど、でもなにか突き抜けていて、とても癒されるような脱力するようなそんな感じがとてもいい。